平成26年5月吉日
第52回日蓮宗青年僧 中部結集岐阜大会
実行委員長 阪口映徳
中部結集実行委員会一同

合掌
向暑の候、各聖におかれましては益々ご清祥のことと大慶に存じます。
また、このたびは「第52回日蓮宗青年僧 中部結集岐阜大会」に格別のご高配を賜りまして、誠に有り難うございました。

今大会は、5月14日に金華山「題目塚」にて戦没者慰霊法要、15日には青年僧265名による唱題行脚(岐阜市内)・ご来賓各聖をお迎えして懇親会、16日には岐阜グランドホテルにて代表者会議・総会を開催致しました。

会員数が少ない岐阜県を会場とし、今般無事円成できましたことは、ご協力いただきました各聖、ご参加の皆様のご尽力の賜物と深く感謝申し上げますとともに、今後とも変わらぬご厚情を賜りますようお願い申し上げます。

各聖のご法体健全と寺門のご隆昌を心よりご祈念申し上げ、略儀ながら書中をもって御礼のご挨拶にかえさせていただきます。

再拝

第52回全国日蓮宗青年僧 中部結集岐阜大会について

平成26年 6月 11日

 全国日蓮宗青年会では毎年全国各地で結集大会を開催し、各々が研鑚し合って参りました。本年は5月15日(木)・16日(金)に「第52回全国日蓮宗青年僧中部結集岐阜大会」が開催されました。

会場となった岐阜のシンボルともいうべき岐阜城(稲葉山城)の歴史は古く、建仁元年(1201年)二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりとされています。戦国時代には、斎藤道三の居城、織田信長から「美濃を制する者は天下を制す」と謳われ、天下統一の要所とされた場所です。しかし、実状は、その裏で多くの武将からの攻撃により数々の落城を経て、当時の物は城址の石垣を残すのみとなっています。この岐阜城を制してきた武将達には法華経の信仰者が数多く、その家臣や側近達もまた同じ信仰者でした。岐阜城落城の際には、ある者はお題目を唱えて討死し、ある者はお題目を唱えながら池に身を投げたそうです。また、近代では昭和20年(1945年)7月9日、第2次大戦中に大規模な空爆を受け、家屋は焼き払われ多数の死傷者を出しました。

今大会では14日(水)に全日青第30代・小泉輝泰会長を含む代表者5名による岐阜城金華山「題目塚」での戦没者慰霊法要、15日には青年僧265名による唱題行脚(岐阜市内)が行われました。街ゆく人は足を止めて手を合わせ、異体同心に一心に行脚する青年僧の姿を目に胸に焼きつけているようでした。翌16日には岐阜グランドホテルにて代表者会議と総会を行い、今大会が無事閉会されました。

第52回 中部結集岐阜大会 第52回 中部結集岐阜大会 第52回 中部結集岐阜大会

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